「さて、キョウカさん、あなたには女魔法使いとして学ぶことが山積している。とりあえずはわたしの家に移ってもらい、それからマトゥーラ行きを勧めるかどうかを決めたい。だが、どちらの場合も侍従は同行できない。いいか?」
「それなら大丈夫です。向こうの世界では侍女なんていませんでしたもの。」
「よし。家には君と年齢の近い女魔法使い候補もいる。彼女たちはいい友人になるだろう。」
2人の魔法使いが話している間、ライシャは、ディアルド家の姫と思しき金髪の娘がなぜここにいるかについて推測をしていました。直勘があたっているならば、金髪の姫はライシャがフェイラム家の第二姫だった頃にとった行動を目論んでいるようです…
「…なんでしょうか?」
複雑な気持ちでキョウカのなりゆきを見守っていたアリステーゼは、ライシャの視線に気付いて、彼女に近づいて静かに問い掛けた。
自分の視線に気付いたのであれば、その場で声をかけてくればいいのに、それをわざわざ近付いて来て、さらに小さな声で問い掛けてきたアリステーゼにライシャは驚きを隠せない。
だが、それと同時に彼女が噂どおりの人物かもしれないと感じた。
彼女がわざわざコソコソと問い掛けてきたのはこの場にいる者たちの注意をひきつけたくなかったからだろう。
自分が彼女の行動を怪しんでいる事に気付いた上で………。
「あなたこそわたしたちになにか用があったのではなくて?ディアルド家の姫君。」
ライシャは腕にかけた帯のなかに隠している棒の端をアリステーゼに見せました。
さっきフェラーダから取り上げたものです。
「それは―」
「あなたが何を考えているかは見当がつくわ。ただ、その結論はティーアの名を持つ者ゆえに出たの?それともひとりの娘の感情ゆえのものかしら?それ次第で出方を考える必要があるわ。」
アリステーゼは暫し言葉を探しました。彼女の返答次第で、ライシャは3人にとって心強い味方になる可能性がありますが、言葉を間違えれば即座に邸内に送り返されることでしょう。
南国女性が「パルム街長の二の姫ライシェリーゼ・ティーア・フェイラム」として問いかけているのか、「商隊副隊長ライシャ・セダイユ」として話しているかを見極めなねばなりません。
アリステーゼは目の前の女性を見極めるために彼女をじっと見て、ライシャの方も彼女の答えを待ってアリステーゼをじっと見つめる。
騒がしい室内で、そこだけは奇妙な静寂に護られた。
アリステーゼは目の前の女性の事を知らない。
…というか、ロイ以外の者のほとんどはライシャの事をよくは知らないのだ。
彼女がバルムの街長の娘である事を知る者はロイ以外には数えるほどしかいない。
皆が知っているのは、彼女がカルティスの街長の覚えも良い、南国生まれの男が率いる商隊「ライディスト」の副隊長である事。
そして、その南国生まれの男…ロイの伴侶である事。それだけだ。
アリステーゼも先ほどアレクシスからそのように紹介を受けたばかりだ。
アリステーゼは、やはり言うべきなのか、それとも、誤魔化し通すか・・・いずれにも、考えに考えた。近くの騒音は、二人には聞こえていない状態だった。
一度、下を向いて、目をつぶった。それから、まっすぐにライシャを見た。
ここで真実を伝えるべきか…。アリステーゼは意を決した。
クローナ家に伝わる街の記録の他、数々の文献にも目を通した。
キョウカが時折口にする不思議な言葉を、書物を手に、その都度翻訳してみた。
これまでの知識を反芻するうちに、ディアルドの姫は南方五都市―レイリス、ウィスタン、セネイ、パルム、ルーシェ―のひとつで起きた、ある出来事をふと思い出しました。
今から数年ほど前のこと、「パルムの赤薔薇」と称されていたフェイラム家の2番目の姫が急病で他界したとの知らせがディレイにも届き、ディレイからも主だった者がパルムに赴きました。このときアリステーゼは自邸に留まっていたのですが、パルムでの話を聞くと「ライシェリーゼ姫は他界したのではなく何かの事情で存在を隠された」と思える不自然さを感じたのです。
現在は「カルティスの白百合」と呼ばれているメリルアンジェと並び称される美姫だったパルム街長の第二姫とライシャに直接の関わりはないのでしょうが、ライシャも南の出身です。
ライシャは葬られた美姫について何かを知っており、アリステ―ゼへの問いもそれゆえに発せられたのかもしれません。この仮定があたっていれば答えはおのずと決まってくるでしょう。

「私は貴女が何者なのか知りません。そして、貴女がこのような問いかけをしてくる事の真意も…」
キッとライシャを見詰めるその表情は事の他キツイものだ。
それだけ、アリステーゼが真剣だという事を物語る。
「それで?貴女の答えは?」
「私はこの世界を変えたい」
アリステーゼはとてもキツイ目で、されども静かにそう言いきった。
「私は街の民の誰もが私と同じような生活をしているのだと思っていました。だけどそれは違った。女性に世界を動かす権利は与えられていない。けれど、立場的に人の上に立つティーアの名を持つ者として全ての人が平等に暮らせる世界を望みます。そして、世界を変えるためには私自身が世界を知らなければならない。そう考えます」
ライシャはフェイラム邸を出たときを思い返していました。彼女は母の違う兄と姉に快く思われないだけでなく、説明もなしに5つ巴の街の政争に利用されるであろう運命を倦んだのです。
ライシャの場合と違うのは、アリステ―ゼは過去からこの件を熟考し、ディレイの跡取である自分がいなくなってからのことについても何らかの対策を施してあると思われることでしょう。
「あなたの決意はよくわかったわ。ちょっと待ってちょうだい。アレクシス殿、新しい女魔法使いをマトゥーラに遣わすのならわたしたちも協力するわ。場所はロイが知っているはずよ。」
「ライシャ夫人、この件はまだ決定したわけじゃないんだが。」
「キョウカさんが首にかけているものが既に方向を決めていると思うけれど?
≪黒竜の水晶≫が誰かを選んだときは、メレルの竜騎士団の本営かマトゥーラで承認をするのが通例と夫から聞いているわ。キョウカさんは女性だから竜騎士団本営は関係ないものね。」
『女魔法使い』
有無を言わさずに盛り上がる周囲に辟易していたキョウカは、ここ数十分間で幾度も耳にした言葉に密かに眉を顰めた。
自分の置かれた状況がよく分かっていないながらも、周りの人々の会話を聞いていて思ったのは、どうもこの世界では男女の区別がきっちりと分かたれているようだ…という事だ。
もちろん、日本でだって男女の区別はされる。
だけど、日本のそれとこの世界のそれは違うように感じるのだ。
アリステーゼとこの屋敷を抜け出ようとした際に手助けしてくれた女性の言葉を聞いた時から何かがひっかかっていた。
今の「女魔法使い」という言葉だってそうだ。
そしてライシャと名乗る女性の「女性だから竜騎士団本営には関係ない」と言う言葉。
何故この国の人たちはここまで男性、女性という性差にこだわるのだろうか…。
「あなたがディレイにいることを望むのならばマトゥーラ行きは強制はしない。」
アレクシスはキョウカの怪訝そうな表情を見知らぬ土地への旅の不安ゆえと判断したのです。
「おい…アレク、冗談だろう?マトゥーラの総司が新しい水晶の主を承認しなければ、それは女魔法使いの守護竜となることもなく永久に黒く沈黙したままだ。…そうじゃなければ誰が……」
魔法使いの修練を途中でやめたロイには、マトゥーラへの訪問はあまり愉快ではないのです。
「ロイ、仕方がないじゃないの。メレルに行けば水晶の竜は闘竜になり、竜に選ばれた若者はライドを名乗る魔法戦士になるのよ。マティスに女性形はあってもライドにはないわ。」
「…わかったよ、ライシャ。そんなに言うな…
―と、こういうわけだ。キョウカ嬢、あなたはマトゥーラに連れていく。いいな?」
「ディアルドの姫君、フェラーダさん、あなたたちは彼女の旅の道連れとして同行するのよ。」
フェラーダは一瞬、困った顔をしたが、すぐに顔を上げた。
「・・・承知いたしました。」
キョウカは、地を見ていたが、ライシャ達の方をまっすぐに見た。自分の承知もなく、マトゥーラ行きを決められて、不快には思わなかったが、やはり少し戸惑いもあった。
知らない場所へ行くというだけはあって、鼓動が早くなり、落ち着きをなくしそうになった。
これからどうなるのだろう。
一体、何がどうなっているのかさっぱり分からない。
帰りたい…。
どこかへ行ってその場所から帰ることが出来るのなら、今すぐにでもそこへ行きたい。
でも、何だろう…。この世界へ来てから、まるで得体の知れない何かが必死になって私を呼んでいるような感覚に陥る。
「マトゥーラの地も≪黒竜の水晶≫の女主人の承認も恐ろしいものではないから安心しろ。
女性は保護が必要な弱い存在だということはロイたちも常識として知っている事実だしな。」
「アレクシスさん…」
キョウカがマーシアの名と女魔法使いの杖を得てからは、彼女に対するアレクシスの言葉や態度は「遠国の姫に対するもの」から「同志に対するもの」へと変化しています。
「その水晶に眠る竜は、目覚めれば主人の魂の色をまとうという。
あなたが守護竜とともにディレイに戻る時、どんな竜を連れているのだろうか。楽しみだな。
旅…待てよ。ライシャ夫人、まさかさっきの話から察するに、アリステーゼ姫もこの旅に…」
「姫君御自身の望みでね。アレクシス殿、この旅の間、魔法で彼女のダミーを作れないかしら?
ティーアの名を持つ者の無断の城出なんて…周囲に露見したらただではすまないわよ……」
「それでは、封印の魔法により、居なかったことにしてしまいましょう。」
「そう…。アリステーゼ姫は元々この世界に存在しなかった。」
「それで良いですかな?」
突然、アリステーゼは不安になった。
(私を知っている人…、この屋敷のすべての人…、サティリエも…、お父様も…、みんなみんな、私を忘れてしまう…。)
「決してご自分を忘れないでいて欲しい人の姿だけを心の中に思い描くのです。」
「忘れないでいて欲しい人の姿だけを…」
アリステーゼは不安気にアレクシスの言葉を口の中で繰り返した。
自分の事を忘れないで欲しい人物と言えば、父・アストラウル。母親同然のサティリエ。友人も同然のフェラーダ。
そして、大親友であるワナルの街長の娘・セレシィア。
そして、そして………
あと一人…少女の頃から憧れていた菫色の瞳の男性の姿を無意識のうちに心に描いていました。
家も血筋も責務も習慣も関係なく、自分の純粋な心だけに従って考えても許されるのならば…
一方、キョウカはそれを自分の身に置き換えていました。彼女を知る者が皆自分を忘れる…それは失踪したキョウカを案じる皆の心配そうな様子を想像するよりも恐ろしいものがあります―
「司様、お待ちください。」
「アレクシス殿、ちょっと。」
フェラーダとライシャが同時に口を開いたのはそのときです。
「僭越かもしれませんが姫君はディアルド家の血脈を守るべき方です。影武者ならば話もわかるのですが、存在を消されれば…この街は…ディレイの次代の長の座はどうなるのでしょう…?」
「いい案だけどディアルド家の姫君には他に兄弟はいないのよね?その方面は大丈夫なの?」
二人は口調は柔らかいものの、真剣な眼差しでアレクシスを見つめる。
その眼差しからは無言の圧力がひしひしと伝わってくる。
それに一瞬ひるみつつも、アレクシスは冷静に口を開いた。
「つまり、歴史が変わるのだ。」
アリステーゼが封印され、元々生まれて来なかったという事になれば、歴史が書き換わり、アリステーゼの代わりに別の子供が誕生していることになる。
しかし、彼女の父を想う心が強ければ、その存在を父の記憶の奥底に刻み込むことが出来る。そうした場合、彼がアリステーゼに会っても、両者を自分の子供として認識することが出来よう。ただし、その時は残酷な魔法が解ける瞬間でもある。
封印の魔法…。
時折、罪を犯した貴族などへの刑罰として用いられることがある。魔法により地位も権力も失った彼らは、庶民から奴隷として使われるのだ。
この魔法を犯罪の判決結果として行うには、罪人が統治階級者ならメレルの宮廷の、竜騎士ならメレルの竜騎士団本営の、魔法使いならマトゥーラの魔法使いの塔の、聖職者ならエルセアの大神殿の、学者や賢者ならシレギアの学問所の判断が必要ですが実際に許可が出るのは稀です。
それはこの魔法の結果がもたらす恐ろしい事実や、名に特殊な音を持つ者が≪封印の魔法≫に値する大罪に問われるのが稀であるということだけが理由ではありません。
この魔法は場合によっては多くの人心や時間軸さえ巻き込んで展開されるものであり、当然その術を行使する魔法使いの心身にも大きな負担を与えることになるのです。
無論、アレクシスもとロイもそのことを知らないわけではありません。しかもアレクシスは一昨日にもキョウカをこの地に召喚するという大魔法を行ったばかりの身です…
空色の瞳の魔法使いは姫の心情を気遣ってか、この術の危険な部分の説明は伏せています。
「………」
対するアリステーゼは硬い表情で考え込んでいた。
封印の魔法…人の上に立つ者たちが過ちを犯した時に用いられる最終手段。
実際に目にした事などないが、それでも書物では読んだ事がある。
それが世界にどれほど大きな影響を与えるものなのかもそれには書いてあった。
それまでの歴史を完全に書き換えるそれは、最悪の場合、世界のバランスをも崩しかねない…と…。
それまで人々が歩んできた歴史を歪めると言うことは、世界そのものも変わると言うこと。
最悪、その術が施された後、目の前にはそれまでとはまったく違う世界が広がっているという可能性も無きにしも非ずなのだ。
そんな危険な術を彼は自分のために使おうというのか…。
アレクシスは、ゆっくりとアリステーゼに近寄った。
「本心を申し上げます。」
「おそらく、姫、貴方はこれからかなり長らくの間、ディレイに戻るつもりは無いだろうと考えております。そして、それが数年にも及んだとき、それだけの長い間をまやかしの類で誤魔化し続けられるものではありません。」
アレクシスは同時にこの話が持ち上がった時点から手にしていた分厚い本の最後のページを開くと、口を半開きにしたまま、きょとんとしていたキョウカに手渡した。
「キョウカ…。あなたなら、あの呪文を唱えた後、続けてその最後の四行を詠唱するだけで、複雑な封印の魔法を完成させられるはずだ…。」
キョウカはどうしていいか、わからなかった。
解っているのは、アリステーゼのために重い決断をしなくては、ならないということだけだった。それも、とてつもなく重い決断を。
少しでも気持ちを紛らわそうとしたのか、キョウカは微かに魔法の香草の香りがしみこんでいる魔法書のページに視線を移しました。
紙面を埋めている文字は、今日の昼下がりくらいの頃合にアレクシスと一緒に見たエリダイルの本に書かれていたものとは全く違います。
言葉の持つ力をそのままに記せる特殊な文字なのでしょう。
思えば、日本にいたときに夢中になって読んでいた魔法小説でも、魔法使いたちは魔力のある人にしか使えない言葉で呪文を操り、自在に不思議な力を操っていました…
しかし、彼女が再度驚いたのは次の瞬間です。
「え?…読めるわ。初めて見た文字なのに……」
「驚くことはない。それはあなたが魔力を有していることの証だ。」
「私が魔力を…」
キョウカは呟きながらその文字を目で辿る。
それらは全て問題なく理解することができた。
アレクシスの言う「あの呪文」というものもどれを指しているのか分かる。
だけど、それを唱えたら…。
キョウカは複雑な面持ちでアリステーゼを見た。
―部屋を出たときに覚悟はしました。キョウカさん、アレクシス殿、遠慮は要らないわ―
アリステーゼの表情はそう語っていますが、ドレスの上で組んだ指に視線を移すと、不安と緊張のためか、強くにぎりしめている指が微かに白くなっているのがわかります。
アレクシスはロイを近くに呼びました。
「なんだ?」
「ああは言ったが、キョウカがこの魔法の反動に耐えられるかどうかは未知数だ。
彼女が行使を決めたら魔法の反動を受けとめる協力をしてほしい。方法は覚えているな?」
アレクシスはシルヴィナとともに召喚の魔法を行ったときのことを思い返し、キョウカに襲いかかる≪封印の魔法≫の反動を彼とロイのふたりで吸収することを考えたのです。
―キョウカが、彼の銀桃色の巻毛の女弟子の二の舞になることを避けるために。
参加者:れいあさま 瑞穂さま 一器さま
さとこさま ミントブルーさま ミール・エア・リーデ
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