同じ頃、シャイアを積んだカルティスの商人たちがディアルド邸の門をくぐっていました。さきほどの空の水のおかげで到着が予定よりも遅れていたのです。
商人達はよくよく空を見上げた。からりと上がった空の水は、もう気配すらなくなっていた。
「しかし、大変だったな。一時はどうなるかと思ったが・・・。」
「ああ。だがなんとか無事に着いてよかったな。」
商人達は再び、空を見上げた。
「ロイ様、これから如何なさいますか?」
「ん?」
ロイと呼ばれた褐色の肌の体格のいい男は後ろを振り返る。
商隊のうちの一人が問い掛けてきたのだ。
その者の問いかけによって、後ろにいた自分の隊の者たちが指示を仰ぐためにロイを見つめている。
「とりあえず先に例の品を街長の所まで届ける。予定時刻よりも遅れてしまったからな。一番の顧客が優先されるのは当然だろう」
「分かりました」
すぐ後ろにいた黒髪に褐色の肌の女がそう答えて隊の他の者に指示を出す。
「なあ、ライシャ」
不意に話し掛けられ、隊の者に指示を出していたさっきの女が振り返った。
「妙な噂を聞いたんだが。なんでも、昨日この街に≪水を越えし姫≫が出現したらしいんだ。」
「それか。ここの魔法使いの司が古代の魔法を復活させたとかなんとか…というものだろう?」
「わたしも聞いているわ。この街は今はその話題でもちきりね。
ここの魔法使いの司は守護の祈祷もしているという話だし…きっと魔力は底知れないのね。」
ライシャは同業者の男性達に言葉を返しながら、≪水を越えし乙女≫がディアルド家に何らかの影響を与えることができれば、この街は活気を取り戻せるかもしれない―と考えていました。
3年前、クローナ家の家長と同じ色の髪と瞳を持つ美しい姫メリルアンジェがカーライル家―カルティスの長の家―に嫁して以来、カルティスの雰囲気が徐々に明るく変化しているように。
フォーテイル族はおうおうにして女性を「保護すべきか弱き存在」と考えているのですが、女性でもその気になれば主や伴侶などを通じて街の治世の方向さえ変えることができるのです。
それに気付いているは一体どれほどいるのか…。
建国と同時…もしくはそれ以前から続いているこの男女の扱いの差の考え方はこの国・ヴェストゥールに強く根付いている。
もしそれに気付いて行動に移す女性が多くいればこの国は変わっていくのではないか…。
そこまで考え、ライシャは頭を振った。
「馬鹿馬鹿しい…」
「どうしたんだ?」
自分の考えを打ち消すかのように呟いた言葉に、前を歩いていたロイが振り返った。
「いや、なんでもない」
ライシャはぶっきらぼうに言葉を返すと、商隊の後ろの方へと行ってしまった。
「街長補佐殿、今回の納品分です。」
ロイは金色に輝く品を満載している七台の馬車を示しました。
「確かに受け取りました。ロイ殿、ライシャ夫人、皆さんもご苦労でした。」
エリダイルはディアルド家の家臣を通じて積荷の書類を受け取り、対岸の街から来た商人の一行を迎えました。彼の表情はメリルアンジェの温和な雰囲気を彷彿とさせるものがあります。
「ディレイ街長はどちらに?」
「今は…急用ゆえ席を外しています。カルティスから何か連絡があるのですか?」
―ディレイ最大の不運は、この男性の名が「エリダイル・タイス・ディアルド」ではなく、「エリダイル・セレス・クローナ」だということだろうな…―
ロイは声に出さずに呟いていました。
一方、その間、二人のやり取りを傍目から見ていた周囲の侍女達は皆、ロイに鋭い視線を浴びせていた。ある者は、人攫いがやって来たと叫び、ある者は、目が合ったらその場で殺されるなどと言い、震えるように屋敷の奥の方へ逃げて隠れている。屋敷の者の間では、魔法使いの者をその手にかけて楽しむ精神異常者、という言われ方をしていた。
「ところで、カルティスからの連絡という程の物ではないが、これをシルヴィナ殿に渡して頂きたいのだが…。」
ロイは、そう言うと封をした手紙のようなものをエリダイルに渡そうした。が、その瞬間、ライシャの素早い手の動きがそれを遮ったのだった。
「ん?なになに? … 愛しのシルヴィナちゃんへ 君はボクの太陽だ 君はシャイアよりずっと美しい ……」
呆れた…と言いた気な表情でそれを音読したライシャは静かにその手紙をたたみ、封筒に戻した。
「………」
周りにいた者…エリダイルまでもが緊張した面持ちでライシャの動向を見守っていた。
ロイは額に汗を浮かべながら苦笑いしている。
そんな彼の様子を横目に、ライシャはエリダイルにニッコリと微笑みかけた。
「ごめんなさい、こちらでしたわ。
街長補佐殿宛です。」
ライシャは別の封書をエリダイルにわたしました。カーライル家の印を使って封をしてありますが、封の方法などを見ると個人的な手紙のようです。差出人はメリルアンジェでしょう。
彼女は今も、生まれ故郷と、街長と副長の二役を担っている弟の身を気遣っているのです。
カルティスの改革も、もともとは彼女がディレイを思う心から始まったのです…
「ここで立ち話をするのもなんでしょうから、なかに入りましょう。」
エリダイルは商人の一行を建物に招き入れました。彼らはディレイの生命線ともいえる商品を扱うだけでなく、特にロイは長にとっても大切な品を扱っているという事情から、ディアルド邸内に短期滞在用の部屋を与えられているのです。
「これがメレルより、闇ルートから取り寄せた“黒竜の水晶球”です。」
何やら真っ黒なガラス玉の様に見えるが、その球の中心ではチラチラと火花の様な赤い光が点滅している。
「いったい街長殿はこんな物を何に使うつもりなのか。」
確かに装飾品としてネックレスなどにつければそれなりに美しく、夜になれば幻想的な赤い光を放つが、本来、これはメレルで不可思議な儀式に用いられる品であり、闇商人から知人を経て特別に入手出来た品物であった。
「ところで、貴方様に直接申し上げるのは気の毒な話なのですが、実は、ここしばらくの間、メリルアンジェ様が体調を崩され床に伏されていると聞いております。一度お見舞いに伺うよう伝えるべきかどうか、夫と二人で迷っておりました。」
商人夫妻の言葉を聞いたエリダイルは難しい顔をしています。本心からいえば、姉を見舞うべく、今すぐにも対岸の街へ赴きたいのです。しかし、街長の責務を一人で担っているも同然の彼がディレイを空けることになれば、その間、誰が長の暴政や気まぐれから、ディレイの民や、アレクシスとともに彼の執務室にいる≪水を越えし姫≫を守るというのでしょうか?
アリステーゼが姫ではなく若君ならば彼女に留守を任せる事もできますが、現実は違います。
カルティスへの輿入れは、当時のメリルアンジェにはあまり幸福な決定ではありませんでした。しかし、当時は他にディレイが祝福されたシャイアを得る道はなく、最終的にこの話がまとまったのです。こうしたことは他の街の姫の身にも起こり得ることなのですが、エリダイルは、叶うならばメリルアンジェやアリステーゼにはそのような思いをさせたくはありませんでした。
彼がアリステーゼに夫候補の選出を強く勧めることがないのはこのためなのです。
エリダイルは少しうなった後、結局、たどり着いた答えは最初から決まっていたものだった。しかし、それはエリダイルにしても、とても辛い判断だった。
「・・・・・悪いが、姉上にはもうしばらく・・・」
エリダイルはそこで言葉を切った。商人夫妻は、顔を見合わせて頷いた。
(チッ、このカタブツめが…。)
「分かりました…。では、我々はそろそろ引き上げるとしましょう。」
ロイを始め、商隊のメンバーはズサッという音を立て一斉に立ち上がると、ゆっくりと馬車の方へと戻っていった。
「ねぇ、フェラーダ。」
「ふふっ… 姫君…。ここは私にお任せ下さい。」
書物を手にしたアリステーゼ、背負い袋を持ったキョウカ、そして、得意げな様子で右手に棍棒を握っているフェラーダの三人は、七台のうちの一つの馬車の荷台に身を寄せ、商隊の誰かがこの馬車に戻ってくるのを待っていた。
「あなた、本当にディレイ街長補佐をカルティスに連れて行かなくていいの?奥様は…」
「仕方ないだろう?この街は彼なしでは一日で都市機能が麻痺してしまうんだろうからな…」
「ここの長があと少し真面ならあの姉弟もこんな思いをしなくていいのにね。気の毒だわ。」
ライシャは溜息をつきました。夫妻の声はアリステーゼたちがいる方に近づいてきます。
「みんな、待って。」
不意にライシャは一行の足を止めると、頭に巻いていた布を手にとり、慣れた調子で操りました。南国女性の淡い色の布がつかまえたのは一本の棒です。フェラ―ダが持っていたものです。
「そこに誰かいるの!?出てきなさい!」
帯でフェラーダの武器を取り上げたライシャがその場の隅々まで響き渡る声で問いかけます。
隊商の男性たちが副リーダーの声に反応して武器を手にして散開しました。
緊張があたりを包む。
長の屋敷の敷地内に置かれたこの馬車の周りには人通りはほとんど無い。
街の者達は敷地内に入る事すらできないし、屋敷の者たちも商隊を「野蛮人の集まり」と見ているところがあって、わざわざ近づいてくる者はいない。
そんな馬車に近づく者の目的と言えば、彼らの荷物ぐらいしかないだろう。
そう考えてた商隊の者達は、それぞれに険しい表情で武器を構え、少しずつ間合いを詰めていく。
3人の娘達は馬車のかげで息をひそめていました。とはいっても、ライシャの飾り帯はフェラーダの持っていた武器をとらえており、商人たちは「人がいる」ということを確信しています。
男性のひとりが3人が隠れている位置にちかづいたときです。
外で物音がして、南国生まれの夫婦は荷に気を遣いながらも外に視線を向けました。ロイのオリーヴグリーンの瞳に映ったのは黒髪の魔法使いの姿です。キョウカの逮捕からずっと≪水を越えし姫≫を探していたアレクシスは、やっと彼女の気配をとらえて転移してきたのです。
「ロイ、商売の方はうまくいっているか?」
「アレクか。魔法使いの司が何の用だ?」
ロイとアレクシスは旧知の間柄のように話しています。それもそのはずです。ロイは過去にほんの少しだけアレクシスがいた≪魔法使いの塔≫で学んだことがあるのです。
それを知っているライシャもアレクシスの姿を見て少々力を抜いたが、すぐさまその表情はきついものへと戻った。
そして、アレクシスが現れたのとは逆の方、自分達の馬車の方に視線を向けた。
そんな副隊長の様子にきづいたメンバーは再び武器を構え直して、そちらへと向かいはじめた。
「取り込み中に悪いんだが中に入れてくれないか?実はさきほど、術の手違いを起してな。」
「我が学友殿が術の手違い?信じられんが…まあいい。ただし、我々も立ち合うからな。」
ロイとアレクシスは並んで建物の中に入りました。ロイも、マトゥーラの地の≪魔法使いの塔≫の総本山の総司の行う魔法でも、状況次第で奇妙な結果になることがあるのを知っています。
「姫君方、救出に来ましたよ。わたしの手違いで恐ろしい思いをさせて申し訳ありません。」
アレクシスは3人が隠れている馬車の方に一直線に向かいます。
姫たちは彼の声に応じるかどうかを迷っていました。今姿を見せれば、彼が3人は怪しい者ではないことを商人たちに伝えてくれることでしょう。アリステーゼはロイたちからは遠ざけられていたので、商人たちは「ディアルドの姫は金色の長い髪が見事で、シレギアの学者とも同等に議論ができる」という話は聞いていても、実際に姫の姿を見たことはないのです。
アレクシスとロイ、及び、ライシャ、アリステーゼ、キョウカ、フェラーダの6人と、商隊の中の一人を加えた7人は魔法実験室と呼ばれる地下室へと向かっていた。
「運良く手に入ったあの“黒竜の水晶球”のことだが…」
「ああ…。だが、街長が手にしても、どの様にして使う物なのか全く検討もつかないだろう。」
小指の先ほどの大きさの黒い球体は、時折、その中心から真紅の光を放っている。
「これは、キョウカ姫にこそ相応しい品物であろうな…。」
意味ありげにつぶやくアレクシスは、魔法で水晶球の一部に穴を開けると、銀のネックレスの先端に取り付け、そっとキョウカの首に掛けた。
「突然ですが、キョウカ姫、貴方を女魔法使いとして指名するつもりです。」
「今からあなたの名は”キョウカ・マーシア・サネモリ”だ。」
「マーシア」とは女魔法使いの名につく言葉であり、男性の場合は「マティス」となるのです。
キョウカは銀鎖の感触と小さな宝石の重量を感じながらアレクシスを見つめました。
神妙な面持ちのままでいるキョウカに、空色の瞳をした魔法使いは杖を渡します。杖は男性の魔法使いのものよりもやや小ぶりなことを除けば、アレクシスが携えているものと似ています。
「杖を得たならこれも要るわね。きっとキョウカ姫に似合うわ。」
フェラーダが白い長衣を出してきました。女魔法使いが仕事をするときに使うドレスです。
女性達がキョウカを囲むのを見たアレクシスはロイを部屋の片隅に連れて行きました。
「ロイ、さっきエリダイルが、シャイアの分配を今日中にすませてソリアナール殿をカルティスに遣わさねばならないと言って、慌てて通商局の方に行ったんだが何かあったのか?」
「ん?ああ、ちょっとな…」
恐らくエリダイルの行動はメリルアンジェがらみだろう。
そう分かっていても…というより、それが分かっているからこそロイは言葉を濁す。
珍しく歯切れの悪い彼の様子にアレクシスは首をかしげた。
ロイだってアレクシスとエリダイルが懇意にしている事は知っている。
だが、事は街長の奥方に関することだ。
女性が要職に就く権利が無いとは言え、事実上、メリルアンジェはカルティスの柱とも言うべき人物だ。
そんな彼女が体調を崩している事を下手に口外するわけにはいかないのだ。
セレンダイル族のみでなく、フォーテイル族同士でもいがみ合っている現在の世界情勢において、各街の危うい均衡を崩すきっかけを与えるような事は…。
ロイはアレクシスから少し目を遠ざけた。やましいことをやっているわけではないのだが、無意識に人と目を合わさぬようにしてしまう。
「まあ、気にするほどのことでは・・・ない、だろう。」
しかし、エリダイルの行動も少し気になる。大方の理由はわかってはいるのだが。
「どうかしたのか?ロイ。」
「・・・いや、なんでもない。この話はもう終わりにしよう。」
本当にそう思っているのか、判らない。だが、相手がそれ以上口に出さないことを、こちらが追求するわけにもいかない。今回は引き下がるとしよう。それでなくても問題は山積み状態だ。
ロイは、部屋の隅にある魔法実験テーブルの方へ向かい、商隊から連れてきたもう一人の男を呼ぶと、小声で言った。
「先に出発しろ。ソリアナール氏から目を離すな。」
男は無言で頷き、颯爽と部屋を出ると、馬車の置いてある場所へと戻った。
その頃、馬車の周辺では残りの商隊の者達がいびきを立ててよく眠っていた。
男は、彼らのだらしない様子に目を覆いながらも、いつものように出発前の馬車の点検を始めたのだが、間もなくしてある異変に気づいた。
「一、二、三、四、五、六……? 無い。馬車が一台無いぞ。」
彼は急いで仲間の人数を確認しました。これが彼の考え得る最悪の事態であれば大変です。
参加者:れいあさま 瑞穂さま メイフェア・キャラウェイさま
ミントブルーさま ミール・エア・リーデ
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