◇迷い人13〜はじめての心〜◇

 

「あなたに一つお願いしたい事があるのですが…」
 セイレナーンは茴香に歩み寄るとすぐにそう言った。その表情は思いの他険しい。
「………私に…ですか?」
「はい」
 戸惑いつつそう聞き返す茴香に、彼は力強く頷いた。
 その真剣な表情に茴香の表情も知らず知らずのうちに引き締まってゆく。
「私に出来ることであれば…」


「…ここでの出来事をあなたの記憶に留めておいてほしいんだ。高位魔法使いのあなたは常人と違う時間を生きる方だ。次にあなたがここに来る時、ぼくもミュセアも変わっていると思う…」
 セイレナーンは準備していた言葉を形にする寸前でひっこめました。それを茴香に言えば、彼女が高位魔法使いとして得たすべてを放棄することを頼むことにもなります。セイレナーンにとってもファルニアナとの婚約を違えることになり、それはミュセアがエルセアの正神官の派遣を得て正式な街に昇格する機会を失うことも意味しています。それを知ってなお、若君は今日知り合った女魔法使いがマトゥーラに発つ前に彼女と会い、できれば再会も約束したかったのです。
 アリステーゼは、セイレナーンの複雑な思いに満ちた藍色の瞳のなかに自分と同じような問題を見たような気がしていました。彼女もまた、セイレナーンと事情は少々異なるとはいえ、自分の伴侶となる人物の選出について悩む身なのです―


 キョウカはただ頷いた。そうするしかなかった。
 いつ、この世界を去るのか。その時、この世界でのことを覚えていられるのか分る筈もないからだった。
 セイレナーンはキョウカが頷いたことに満足したらしく、旅の安全を祈っていると言い残し帰って行った。


 茴香は、セイレナ―ンの言葉を心に残し、誓った。
「ねえ茴香、セイレナ―ン様は・・・」
「え?」
 アリステーゼはセイレナ―ンの帰った方向を見た。セイレナ―ンは、帰るときも、やわらかい顔をしてはいたものの、やはり複雑そうだった。
「・・・いえ、なんでもないわ。」


 セイレナーンはもう一度ライディストの一行が野営している地点を振り返りました。
 街長の家の御用達商人の家に生まれたセイレナーンは、街長の家の若君として暮らすようになるよりも前―ディアルド家御用達商人の跡取息子だった頃―から、自分の将来の伴侶についてはある意味割りきっていました。豪商の家の者もまた、セレスやタイスの家の者のように本人同士の意思だけで伴侶を選ぶことが叶わない事態になる場合もあり、このこともある程度は教えられていました。彼がファルニアナとの婚約を受けれたのもそうして育ってきたためでした。
 今日茴香と過ごしたほんのひとときは、セイレナーンの心に今まではなかった感情を芽生えさせていました。とはいえ、ファルニアナとの婚約に後悔のようなものを感じつつも、なぜそのようなことを思うのかについては、彼自身もよくはわからないようです…

 一方、茴香はセイレナーンの「常人とは違う時間」という言葉に思いをめぐらせています。


 以前、昴と玲がこの世界に来た時が今から9年も前になっているということは、確かにセイレナーンの言うとおり、この世界で次に彼と会う時にはいくらか時間が早く進んでいるのかもしれない。今は茴香より年若な彼も、その時には彼女の年を追い抜き立派な青年となっているだろう。
 茴香はまだ自分を取り巻く環境をおぼろげにしか理解出来ずにいた。
 だがセイレナーンの自分を見つめる真剣な眼差しは茴香の心に深く焼きついた。
「あの人は私に何かを見出したんだわ・・・。」
 茴香の心の奥底に今までとは違った気持ちが湧き出しはじめていた。


「…で、先程の件ですが、受けていただけるでしょうか?」
 去っていくセイレナーンを見送った後、アドレインはカリッツァに向かってそう問いかけた。
 先程の件…と言うのはもちろん、カリッツァが茴香の護衛として旅に同行することだ。


「おれに断る理由はない。ただし、マトゥーラまではザインの翼は使わずに行かせてもらう。」
「なんと?」
「ずっと気になっているんだが、あのお嬢さんはヴェストゥールに初めて来たような様子だ―あり得ない話だが―。このぶんでは総本山に着く前に幾つか教えておく必要がある。」
 フォーテイル海原を越えることは叶いません。つまり、違い大陸―異国―からの客人ということはあり得ないのです。カリッツァはさらに言葉を続けます。
「それに、あの―レイといったか?シェルファーラ殿からシャレイン行きの許可が出れば、ライディストとともに彼にも同行してもらいたい。あの若者は、もう少し訓練すればワナルでカルドの名を得ることも可能だ。シャレイン行きが叶えば、道中彼に幾つか技を仕込んでみたい。」
「ほう。ワナルのカルドといえば、ヴェストゥール最強の戦士の一員ですな。」


 アドレインは表面上は冷静さを装って玲を見遣る。だが、その内心は驚きに満ちていた。
 なぜなら、彼がカルドの名を名乗れるようになるほどの技量を持ち合わせているようには見えなかったからだ。

 通常、この国の者は幼い頃より自分の方向性を位置付けられる。
 家庭環境にもよるが、魔法使いとしての資質があれば魔法使いになるための道へ。戦士としての資質があれば戦士となるための道へ。本人の意思が介入する間もなくそのように定められ、幼い頃よりそれに向けて訓練するのだ。故に、玲ほどの年齢に達する頃にはそれなりの力を有しているのが当然なのだ。
 カリッツァが言う「カルド」の名を得るほどの力量の持ち主であれば、もっと身体がしっかり出来上がっていて当然の年齢のはず。だが、彼の身体はそこまで出来上がっているようには到底見えなかった。
 それ故にアドレインはカリッツァの言葉を容易には信じる事ができなかった。


「レイの素質はおれが身をもって確かめた。」
「…レイはニホンにいるときには学問所にいたそうだ。シレギアの学問所でもシラディスを目指すことと併行して武術の鍛錬を行う学生がいると聞く。彼はその類の学生なのだろう。」
 ロイとライシャは過去に一度玲と昴に接したことがあります。玲と昴が成輝高校に通っていることは彼らがふたりの地球人と過ごしていたときに聞いていました。
 ロイは玲が戦士にしてはすんなりとした体格でいる原因は、基礎教育を終えた彼が、出身地の戦士の兵営ではなくシラディスを目指して学問所に通うことになった結果と見ているのです。
―個人的にはスバルにも興味があるが…彼女がレイのような若者であれば道中で竜騎士時代に学んだ戦闘魔法を伝授したいところだが娘の身では戦闘魔法の訓練には到底ついては来れまい―
 カリッツァは凛々しい格好をしている昴に名残惜しそうな視線を向けています。


「いいな〜玲」
 昴はカリッツァの視線の意味に気づいたのか、羨ましそうに言った。
「女って、損よね。特にこの世界では」
 そう言い捨て、昴はその場を離れた。


「昴?」
 カリッツァのそれの意味に気付いていなかった玲はわけが分からず、向こうへ歩いて行ってしまう昴に声をかける。
 だが、彼女はそれに反応する様子は無い。
 黙ってライディストメンバーが集まる方へと行ってしまうその後ろ姿を見て、玲は彼女を追いかけた。


―女って、損よね―
 ライシャもパルムにいるときには幾度こう考えたことでしょうか。
 彼女がティーアではなくタイスの名を持つ若君としてフェイラム家に生まれていたのならば、異母兄と争うことになってもパルムの次代街長の地位を手に入れ、母エリーシアにも、二度と屋敷で肩身の狭い思いをすることがないように計らっていたことでしょう。
 カリッツァの言葉の意味を茴香にわかるように説明しているアリステーゼも、昴や茴香の故郷のように女性でも長になることが叶うのならば、今頃は神殿の破門を解く方法を見つけてディレイを導く賢君となり、アレクシスやエリダイルとともに街の統治にあたっていることでしょう。

「スバル、どうしたんだ?隊長に何か言われたのか?」
 こちらに来る昴の姿に気づいたライディストのひとりが声をかけました。


「べつにー。何でもないよ。
 でも、玲が魔法かぁ…。大丈夫かなぁ。あははは。」
 昴は大笑いと苦笑いの中間くらいの微妙な表情の笑みを浮かべている。
 スポーツ万能の玲ではあるが、国語や英語となると、試験の成績はさんざんなものであった。
 ひとたび、本屋の文庫本の置いてある辺りに足を踏み入れれば、たちまち鳥肌が立つなど、玲の活字嫌いは、昴もよく知るところであり、彼にとって文章の音読が最も苦手とする難儀であることは国語の授業からもすぐに察しが付いた。
「うーん、玲…、呪文唱えられるかなぁ…。」


 玲は、少し昴から離れていたのだが、昴の言葉を聞いていたのか、眉を少しつり上げ、顔をしかめた。

「・・・なんか、言った?」
「いえいえ、なにも」

 昴は大袈裟に首を振り、手で否定した。明らかに顔が笑っている。
 しかし、昴は玲のことを心配している反面嫉妬心もあって、複雑な笑いだった。


「元シラディス志願の戦士か。興味深いですな。」
「彼が魔法文字を解するようなら戦闘魔法も教えようと思う。竜抜きでどこまで可能かはわからないが、竜騎士団の従士の使う術ならば基礎的な魔力を持つ若者ならば大丈夫だと思う。」
 カリッツァは既に頭の中で玲の教育プランをたてているようです。
 別の一画ではアリステーゼと茴香がこの世界と日本の違いについて話し込んでいます。
「…じゃあ、こっちの世界では15歳で成人するのね。」
「厳密には違うわ。15歳になって基礎教育のすべてを終えたら、男の子はフェレーズ―エリダイル様が着ているような上着ね―を、女の子はフルレングスのドレスを着て、結婚や特殊職業者の名前を得る資格も与えられるわ。でも本当の大人として扱われるのは20歳になってから。それまでは本当の大人と子供の中間的な地位なの―わたしたちもそうね。」


「では、一応正式に『成人』とされるのは20歳になってからなのね…」
 システムは大分違うみたいだけれど…と、茴香は口の中で呟く。
 いまいちピンと来ない単語が並んでいたが、身体の成長の仕方は自分たちのそれと大して変わらない様子。
 その事に茴香は少し安堵した。彼女は先程のセイレナーンの言葉が気にかかっていて仕方なかったのだ。
 彼の言う「常人とは違う時間を生きる」という言葉が…。


「ええ。20歳のお祝いの宴と新成人の訓辞を経て初めて正式に家長や司になる権利や親政権を得るのよ。同時にその時から一人前のフォーテイルとしての義務と責任も負うことでもあるわ。
 例えば20歳になって大罪を犯せば≪封印魔法≫の公使対象にもなるということね―≪封印魔法≫については過去に南で一件だけあったらしい4つの一族全員への行使や、隠密行動時の全年齢対象という例外もあるけれど…魔法関連の詳細はマトゥーラの総司様の方がお詳しいと思うわ。
 キョウカさん、ニホンでも15歳や20歳になったらお祝いや儀式の習慣があるの?」
「あ…ええ…日本でも20歳の成人のお祝いの式典があるわ。女の子は振袖を着て式に臨むのよ。
 そして全員―勿論女性もよ―が選挙権…ええと…街や国の為政者を選ぶ権利ね―を得るの。」
 茴香は慌てて思考を現実に戻し、日本の成人式について聞いている限りのことを話します。まさかこのような場所で日本の成人式について話すことになろうとは思ってもいませんでした


 二人がそんな話をしているころ。昴と玲はキョウカたちの元へ戻る道を歩いていた。
「玲、どうするの?」
「ん。・・・あの話か。悩んでる、何時までここに居るのか判ら・・・・」
 玲はそこまで言って口ごもった。その続きは言わなくても昴は判っていた。 
「そういえばさ玲、さっき彼女のこと『パール』って呼んだよね。なんで?」
 尋ね終わってから、昴は(しまった!)と思った。新しい話題を振るつもりで似た話題をふってしまったからだ。
 ライディストの隊員の一人から、自分の故郷で『コンク』は特別な意味があると聞いたからだと話した。昴はその意味を激しく知りたがった。玲はその激しさに辟易し渋々耳元で囁いた。

 昴の頬にサッと紅が刷かれた。それは、恐らく誰も見たことの無い昴の顔だった。


「玲…先に戻ってくれるかしら?ちょっとだけ…考えたいことがあるの…」
「?―わかった。なるべく早く戻って来いよ。」
「ええ。」
 昴は風上を見つめています。涼しい夜風が心と頬の火照りをさますのを期待するかのように。

「レイ、話がある。キョウカ嬢をマトゥーラの総司に紹介してからシャレインに向かおうと思うが、できれば君にも次代の総司の護衛として同行してもらいたい。
 そして―君はこの文字を解することはできるか?」
 カリッツァは玲の目の前で1冊の本をひろげました。ページを埋めているのはアレクシスの魔法書にもあった、魔力を持つものだけが解することのできる魔法文字です。玲がこの文字を解するか否か―魔力があるかないか―でカリッツァが彼に伝授する内容も異なってくるのです。


「護衛…ね…。『次代の総司』の護衛は嫌だけど、『実森茴香』を護衛するのを拒否する理由はない。もちろん同行するさ。彼女と行動を共にする…と、あの後、昴と決めたしな」
 玲がいう「あの後」とは、茴香と共にディレイを発った後の事だ。
 その時に彼は昴と共に話し合っていたのだ。今後、自分たちがどう行動するのか…を…。
「で、その文字の方だけど、俺には読む事は出来ない。…つまり、俺には魔力はない」
「この文字と魔力の関係を知っていたのか?」
 玲の答えにカリッツァは驚きを隠さなかった。
 何も知らなそうだった、彼らがこの事について知っているとは思わなかったからだ。
「ついでに言うと、俺よりも昴の方が素質があると思うよ。魔術も武術も…な。本人は気付いてないみたいだけど。…女だからと言って男と同じ事が出来ないとは限らない」


 確かに、昴の方が素質はある。それはカリッツァも認めていた。
「それに俺は音読は苦手だ。俺が唱えたら、身を守る魔法も自滅の呪文になりかねない」
「っぷ!あはは」
 キョウカはその言葉に、思わず吹いてしまった。
「ほら『次代の総司』も大笑いするほど、認めてるだろ」



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絵画「名残り」
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参加者:れいあさま 瑞穂さま 一器さま
さとこさま ミントブルーさま ミール・エア・リーデ 

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