「〜〜〜」
ロイが頭を掻き毟っている。
「禿げるわよ」
ロイは「禿げたら今から通る街のせいだ」といいたくなったが、ぐっと堪えた。
街が見えてきた。
街は小さいが活気があり賑やかだった。
ロイは何故か落ち着かず、頭に布を被った。しかし、それは無駄な抵抗だった。
後方から女の声がした。
「ロイ様!ロレイナール様・・・ああ、大奥様にお知らせしなきゃ!!!」
走り出そうとした女性は、何かを思い出したかのように足を止めました。ロイの到着を女主人に知らせるということは、彼女の夫にもこのことを知らせるということにもつながるのです。
「ロイったら…。ここに来たといっても、必ずここの魔法使いの塔に寄るとは限らないわよ。」
「………だといいがな。これが南方五都市だったらどうなることかな。」
夫の憮然とした言葉を聞いたライシャは黙り込んでしまいました。
南方五都市―殊にライシャの故郷であるパルム―は、子供時代からあまりいい記憶がないからか、彼女にとっては今も、そしてこれから先も絶対に行きたくない場所なのです。
―ロイには悪いけど…竜を目覚めさせたのが姫君のキョウカさんだったことを感謝するわ…―
ライシャは唇の内側で密かに呟いていました。竜を目覚めさせたのが玲であり、彼が竜騎士になることを選択したならば、大陸南部へ行くことになっていたかもしれないのですから
ライシャは小さく肩をすくめると、それとなく女性の声がした方の様子をうかがった。
「・・・それはともかく、今あそこを走っていったのはあなたの『お知り合い』の方だと思うのだけれど。
ロイ、どうするの。とりあえずあそこに行ってみる?」
「いや・・・それは放っておいても、じきに迎えがくるだろう。まったく、あいつに見られたのが運の尽きだな。
今頃ご大層にご報告でもしてるんだろうさ・・・」
マトゥーラ。
魔道聖書≪マトゥーラ・アヤ≫からその名を得た魔法使いの総本山。
魔法使いの塔を中心に石造りの大きな建物が点在し、その周辺には民家が建ち並んでいる。世界有数の有名な都市だが、ディレイなどと比べてその規模は小さく、庶民的でのどかな感じの町だ。
山脈の麓に位置するマトゥーラは海抜が高く、ディレイやカルティスといった水辺の街と比べるとかなり気温が低い。
ディレイから魔法使いたちの山麓の街に向かうには、北からティセナ湖に流れ込むトゥーム河の川沿いに位置するふたつの街―ワナルかミュセア―が管理する地下道を通る必要があります。
今ライディストの一行がいるのは、セレシィアの住むワナルの隣街のミュセアです。
ロイがこの街に入ってすぐマントのフードを被ったのには理由があります。この街の魔法使いの司アドレイン・マティス・セダイユはロイの父親であり、彼は魔法の修練の途中でマトゥーラを飛び出して旅商人になった息子の行動を許してはいないのです。なので、現在ロイはセダイユ家からは勘当されたも同然の状況にあるのでした。
アリステーゼは馬車のカーテンの間から賑やかな街の様子を興味深そうに見つめています。それは、しのびの外出で見たディレイの市街の様子とは違います。外を眺める姫の様子は、初めて目にする賑わいに誘われつつも、その気持ちをどうしていいかわからないようでもあります。
アリステーゼたちの乗っている馬車のそばを粗末な身なりをした一団が通り過ぎた。
ディレイでは見たことのないものだった。
「『流の民』ね」
「?」
『流の民』それは国を持たず、家を持たない人々。彼らが持つのは『友』『音楽』『踊り』『家族』そして『民の法』。
世界を廻りその土地土地で歌と踊りを見せ金銭を得、大地と空の下で眠る。
外でロイが誰かと親しそうに話しているのが聞こえ。馬車が動き出した。
「もうすぐ市場に出る。外れのところで一休みして、いろいろと物資を積もう。
必要なものがあれば買ってくればいい。広場のところで流れの民の踊りを見るのもいいだろう。
今いる一団は、なかなかいい催しをやるらしいぞ。」
ロイが後ろに乗っている女性たちに声をかけた。
トゥーム川の南側に位置するミュセアは市場をはじめ、商人の街として栄えている。
商売の規制の厳しいディレイから逃げるようにしてやってきた商人たちが集落を作ったのだ。
昼下がりの市場で、食糧を買い込むライディストの正規メンバーたち。装飾品の売り場でアリステーゼに宝石を着けさせている玲。鍛冶屋で鋼のロングソードをまじまじと見つめる昴と、それについて行った茴香。
その間、ロイとライシャは、皆が思い思いの場所へ散っていった後も、馬車の付近で二人佇んでいた。
そしてその頃、『流の民』が奏でる音楽が二人の耳に届いてきた。
「あなた…、大丈夫?」
ライシャはロイに問い掛ける。ライディストのメンバーや茴香たちが側にいないせいか、その口調は驚くほど柔らかい。
それに気付いているのだろう、ロイは一度口の端で笑った後、重い表情で頷いた。
「大丈夫だ、心配しなくていい。ただ…」
「ただ?」
ロイは一度口を閉ざす。ライシャは先を促すように、その言葉を優しい声音で繰り返す。
「この街をすんなりと抜けられればいいのだが…」
「………」
いつも自信に満ち溢れた男のする表情とは思えないほど苦悩に満ちた表情でそう呟いたロイの姿をライシャは静かに見守った。
「似合うよ。ほら、鏡。」
玲は結い上げた金色の髪に珊瑚色の宝石細工の髪飾りをつけたアリステーゼに鏡を渡します。
「これは今の君の名の宝石に似てるんだ。勘定をすませてくるからちょっと待ってて。」
「レイ殿、待ってください。お心は嬉しいのですが―これは…いただくわけには参りません。」
姫は大事な何かを思い出したように、店に入ろうとした玲に髪飾りを渡しました。
「いい剣ね。ちょっと持ってみてもいいかしら?」
「構わないが…お嬢さんにはちょっと重いんじゃないか?兄君か誰かに頼まれたのかい?」
鍛冶屋の店主は剣に瞳を輝かせている昴の様子に驚いています。長年この仕事をやっている彼でも、このように武骨な商品に興味を持つ娘には今まで会ったことがないのです。
そのうち、キィと茴香の耳にも楽しげな楽の音が届いてきました―
「・・・キィ、音楽が分かるの?」
キィは馬車から降りてからというもの、茴香のそばをぴったりと寄り添って歩いている。
茴香とキィが歩いている所は、市場から広場へと進む人通りの多い大きな道。だんだんと近づいてくると、広場では人だかりの真ん中に何か催しをやっているのが見てとれた。流れてくる音色はいかにも楽しげで、皆一様に嬉しそうな表情を見せている。キィもその例外ではないのか、茴香には横を歩くキィがリズムに合わせて頭を振っているように見えた。
「………」
耳慣れない音楽を耳にしながら茴香は楽しげな様子のキィをぼんやりと見つめる。
あの時…、この竜の名前の事を考えていた時…、頭をかすめる音楽と呼べるものか分からない音から浮かんだのは「キィ」という音だった。
頭に浮かぶ音を無意識のままに言葉に乗せた時、この竜は反応したのだ。
茴香に警戒を露にしつつも、確かに反応をしめしたのだ…。
広場へと続く大通りを歩く茴香と桜色の竜のために、人々は誰に言われるともなく、ドレスの上に白い上衣をまとった女魔法使いが歩きやすいように自然に道をあけてくれます。
彼らの様子を見た茴香は、改めて「白い上衣を着て魔法使いの杖を持ち、守護竜を連れている魔法使い」をフォーテイル族はどのように位置付けしているかを強く意識していました。
「…キィ、おいで。」
茴香はもう一度竜に呼びかけました。
桜色の小竜はその声に応えて茴香の肩に飛び乗ります。
竜の様子は、ミュセアの人々の行動を見て、自分が周囲にどのように映っているのか、そして自分にミュセアの人々の期待に応えられるような女魔法使いとしての力があるのか…ということを考えてふと怖くなってしまった茴香の心に反応したかのようでもあります。
その頃、ディレイではある騒動が持ち上がっていた。
アレクシスが連れ帰った盗賊がどうやったのか、地下牢から脱獄したのだ。
すぐにアレクシスが呼ばれ、魔法の痕跡を探ったが時間が経ちすぎて判らなかったのだ。
盗賊は走った「忘れられた道」を。その道は「流の民」が作ったものだが、彼らでも知る者はもういない道。そして、日の目を見ることなく全土を行き来できる道。
盗賊ーカリッツァ・デオンーが、脱獄し後を追っていることなど、ミュセアで休息している彼らは知る由もなかった。
そんな茴香達とは反対に、ディレイでは一部が混乱を起こしていた。
地下牢の警備の者が今もディレイ中を探し回っている。その後、此処にはいないと分かり、牢の警備をより厳重にし、一度捜索を中止した。
盗賊の行き先が分かったのは、それから後の話だった。
そのときにはすでに、茴香達の後を追う盗賊が、近くまで迫っていた。
茴香が大通りから広場へと入ると「流れの民」の流す音楽はさらに近く、大きく聞こえた。
市場から抜けた後も、端のほうには行商が露店を広げ並んでいる。真ん中辺りの催し物とあいまって、広場もとても活気に満ち溢れ、混雑の様相を呈してきていた。
「ねぇ、この剣なんか軽くていいんじゃないかしら」
昴は楽しげに振り向くと、さっきまで後ろにいたはずの茴香とキィがいなくなっていることに気がついた。
「ああ、そこにいた女魔法使いさんなら、あっちの広場の方に向かって行きなさったよ」
「・・・やばっ、玲に気をつけて見ていてくれって言われてたんだった。
ありがとうおじさん、これ頂くわ。御代はここに置いておくわね!」昴は慌てて広場の方へと駆け出した。
「スバルさん。何事ですか?」
宝石店の店先にいたアリステーゼは慌てて走って行く昴を見つけて声をかけました。
「茴香がどこかに行っちゃったのよ。昨夜のこともあるし…急いで探さないと。」
「闇雲に追いかけても行き違いになるわ。彼女の行き先の見当はついているの?」
「ええ。
もう…この服じゃあ思うように動けないわ―」
姫と話しながら、昴は動きやすさを考えて長いスカートの裾を帯にはさみ込んでいます。
「わかったわ。わたしたちも行きましょう。スバルさん、教えてくれて有難う。
レイ殿、来てちょうだい。一大事です。」
アリステーゼは、宝石店の店主と買い物について話し込んでいる玲に声をかけました。
「どうした?何があったんだ。」玲が店の奥から出てきて言った。
「茴香さんの姿が見えなくなったそうです。皆で急いで探しましょう」
「・・・。」玲は昴の方をちらっと見た。思った通り、昴はバツが悪そうにあやまるしぐさをしている。
「・・・分かった、とりあえずは皆で茴香を探そう。昴、茴香がどっちへ行ったかは分かっているか?」
「皆、広場に行ったって言ってるわ。目立つ娘だから間違いはないと思う。」
「よし、何かあるといけない、急ごう。」3人は広場へと向かっていった。
3人が広場の入り口に立つと、人ごみの間から茴香の姿が見えた。「あそこだ、行こう。」
そう言った玲の横を、音をたてて通り過ぎる屈強そうな大柄な男達がいた。
肩の上にいるキィの警告めいた呟きを聞いて振り返った茴香が見たのはひとりの男性でした。彼は昨夜ライディストを襲った盗賊のひとり―茴香をユリニエールと呼んだ男性です。
「静かにしてもらおうか。おまえも竜も妙な術は使うなよ。」
彼は茴香とキィに騒ぎを起さないように圧力をかけてきます。
「―何をしている。ここは皆が楽しむ場所だ。女魔法使い殿は迷惑しているようだが?」
ひとりの男性が盗賊の片手をつかまえて、そのまま茴香の身体から離しました。
「ミュセアが歓迎するのは旅人であって無法者ではない。建都10年にも満たない新興都市といって甘く見るな。」
若者は毅然とした藍色の瞳で盗賊を見据えてます。茴香と同じような年頃と思われる若者は、身なりから察するにこの街のタイスかセレスの家の一員のようです。
すると、その脇から大柄な男達が数名、二人の間に強引に割り込んできた。
「なんだぁ?このガキは…。お頭の邪魔はさせねぇぜ。」
大柄な男達は、大勢で横から後ろから若者を取り囲むと、拳をポキポキと鳴らしている。
数人の敵に囲まれている茴香とどこかの若君の姿を見た玲は現場へ一目散に走りだしました。
茴香を庇う若君は短剣と飾り帯を器用に操って盗賊とわたりあい、女魔法使いを逃がす隙を作ろうとします。飾り帯はときに両端で同時に敵の拳を封じ、続いて別の男性の足元を払います。若君が主に帯を使っているのは、最小限の手傷での盗賊の逮捕を考えてのことかもしれません。
「君、加勢する!茴香、大丈夫か!?隙をみて逃げろ。」
玲が昨日の戦いで使った剣を持って参戦してきます。
―女主人(マスター)、杖の先に光を集まる様子を心に描くのです。皆を助けるのでしょう?―
この騒ぎを納める方法を模索する茴香の頭にキィの声が響きました…昨夜のように。
茴香が必死の思いで声に従うと彼女とキィから白い光が発し、敵の視界を奪いました。
目も眩むような白光は玲と藍色の瞳の若君には影響を及ぼしてはいません。
『へぇ〜、凄いじゃない』
『だな、どうのこうの言ってキィも力を貸しているみたいだし』
襲ってきた男達、藍色の瞳の若君、町の人々、そして茴香すら驚く中で昴と玲は冷静に呟く。
その顔には笑みすら浮かんでいる。
その表情は高校生の浮かべるものとは思えないほどの達観したものだ。
少なくとも茴香が二人のこの表情に気付いたのであれば確実に驚いたであろう。クラスメートの見せた子供らしくない表情に…。
だがすぐにその笑みを消し『普通の高校生』の表情を浮かべた二人は、激しい光の中を茴香とアリステーゼ、そして手助けしてくれた若君を連れてその場を抜け出した。
騒ぎを聞きつけて、警吏達が現場へ駆けて来た。光が収まった後には、大柄で、けして品のいいとはいえない男達が数名残っているだけだった。
一人の男が「お頭がいない」とつぶやいた。
彼らは警吏達に連れられていくと。人々は思い思いの場所に散った。
その場に何人か残り、周りを小一時間探索したが、男達の言った風貌に当てはまる人物は見つからなかった。
参加者:れいあさま 瑞穂さま 一器さま
さとこさま ミントブルーさま ミール・エア・リーデ
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