ここ数年、ディレイの街長を補佐する家であるクローナ家に書状が届かない日はありません。
それらの殆どは去年20歳を迎えたアルヴェイン・セレス・クローナの姫メリルアンジェ宛てのものです。
内容はみなクローナ家の美しい姫君への求婚です。
クローナ家の菫色の瞳をした姫の美しさについての評判は、彼女が基礎教育期間を経て結婚が可能になる15歳を迎える頃には近隣の街に広まっており、姫が15歳を迎えたときには、それを待ちかねていたかのように、求婚の書状が毎日のようにクローナ家に舞い込むようになっていたのです。
それはメリルアンジェの15歳の誕生日から6年が過ぎた現在も続いていました。
「姫君、お手紙です。」
「まあ…
どうしましょう。
昨日も届いているのに…」
侍女から今日配達されてきた書状を受け取った姫は溜息をつきました。
求婚の書状を送る男性は皆真剣な思いでこの書状を書いていることでしょう。彼女がその心を受け取ることができるのはただひとりだけなのですが、現在のメリルアンジェには群なす求婚者からそのひとりを選ぶことも考えられずにいるのです。
なかには断りの返事を出してからもなお、懲りずに求婚状を送ってくる男性もいます。
こうした書状が毎日のように届くということは、普通の姫であれば舞いあがるほどに嬉しいことなのでしょう、しかし、街の政情の方が今よりも少しでも落ち着いたら正式な女神官となることを密かに決意しているメリルアンジェにとっては重荷でしかありませんでした。
セレスやタイスの家に連なる者が神殿に入ることは禁じられてはいません。ただし、神殿に入り、正式に聖職者としてのエリスやイーラの名を得るためには、持って生まれた統治階級者の家系の者の名を放棄しなければなりません。
メリルアンジェのこの考えは、ディレイが他の街との強い結束を必要とするような事態に陥っていれば間違いなく反対されることでしょう。セレスやタイスの家に生まれた者は街の統治階級者の家系としての特権を享受する権利を持っいる反面、街に何か問題があれば街の政治の全権を担う家の者として矢面に立たねばならないということでもあるのですから。その場合、ときには一生をともに生きる伴侶である配偶者についても自分の意志では選べなくなることも起き得るのです。
しかし、幸い現在この街は他の街と戦いを起しているわけではなく、内部に問題を抱えているとはいっても存亡の危機に立たされているというわけでもありません。
もう少し市街地の状況の方が落ち着けばアルヴェインもリスティメイラも娘の気持ちを理解してくれる可能性もあります。
「―お返事の内容は今夜考えることにしましょう。
そろそろ神殿の方に行く時間だわ。」
メリルアンジェは立ち上がると外出用のマントを羽織りました。
彼女が神殿によく通っていることはディレイの住人であれば誰でも知っているのです。
「姫君、こんにちわ。」
「こんにちわ、マリアーデ女神官。
今日の訪問は東地区ですね。わたしもお供しましょう。」
「姫君、いつも有難うございます。」
「地区の皆様もわたしたちを待っていますもの。わたしも皆様のお役に立つことができて嬉しいのよ。」
女神官のなかにまじったメリルアンジェは女神官たちの使うヴェールを着けると、彼女たちと同じように籠をとりました。
籠に入っているのはこれから向かう地区での仕事に使う道具類と、神官たちの手で祝福されたシャイアです。
神官たちによる祝福を受けたシャイアは水を浄化する力を持ちます。聖職者たちによって祝福されたシャイアで浄化された水はフォーテイル族を害することはなくなります。ゆえに、神殿で祝福されたシャイアはフォーテイル族がこの世界で生きていくうえでは絶対不可欠なものとなっていました。
とはいえ、ディレイにも、なかにはさまざまな事情から市場などで正規の価格で扱われているシャイアを入手することが難しい人が存在するのも確かです。
そのような人々に定期的にシャイアを配達することもまた神殿の大切な仕事のひとつなのでした。
女神官たちとともに街の東部の一画に来たメリルアンジェは、マリアーデとともに一件の民家に向かいました。
今日薬品とともシャイアを届ける予定の一件です。
魔法使いや聖職者も学業の一環として医療や薬について学ぶので、聖職者が神殿の外に出て奉仕を行う際にはその知識を使うこともあるのです。
「この品でよろしいですか?」
マリアーデは包みのひとつをかごから取り出しました。
小さな包みにはこの家のファミリーネームが書いてあります。
「ねえ、お姫様、今日新しい字を習ったんだよ。」
近くにいた子供がメリルアンジェのヴェールを引っ張って声をかけました。
「こら!姫君に失礼じゃないか。」
「怒らないでちょうだい。わたしなら構いませんわ。
どんなことをおぼえたのかわたしにも聞かせてくれるかしら?」
メリルアンジェは少年の方に身体を向けました。
「うん、いいよ。ええとね―」
「あーっ!お兄ちゃん、ずるい!」
「ほらほら、喧嘩しないの。順番にお話しましょうね。」
席から立った姫は幼い兄妹に近づき、ふたりの目線の位置にあわせて姿勢をかがめます。
マリアーデは寝台のうえのサミル老人の脚を軽くほぐしながら、3人の微笑ましい光景を見つめました。
ヴェストゥール広しとはいえ、自ら進んで市街のあちこちで奉仕活動を行う聖職者と一緒に生活に困窮している人々の家を訪問したり、炊き出しを手伝ったりする姫君というものは、メリルアンジェの他にはきっと存在しないことでしょう。
女神官たちと同じヴェールをつけて街の人々と接するメリルアンジェの姿はマリアーデにとっても誇りでした。
往診を終えて帰ろうとしていたひとりの医師が街角で炊き出しを行っている神官の一団の方に目を向けました。
彼の瞳は自然とそのなかにいるひとりの女性の方に吸いつけられて行きます。
若い医師が見つめているのは、女神官たちと同じように白いヴェールをつけてはいるものの、他の女神官とはやや異なった長衣を着て、お茶を入れたカップを人々に手渡している白金色の髪の女性です。
白金色の髪をした女性が手慣れた調子でお茶を入れる仕草は、女神官のものというよりも、貴婦人特有の優雅さに満ちたものでした。
「兄さん、ディレイは初めてかい?」
ひとりの男性が神官たちの一団を見つめている若い医師に声をかけました。
「そうだ。ここの戦士団の軍医に招かれて数日前にアーライから来た。
それよりもこの街の聖職者は優雅だな。
あの菫色の瞳の女神官などは生まれながらの姫君のようじゃないか。」
サーフュールはさっきから目を離せずにいる白金色の髪をしている女性を示しました。
「それは半分あたっているよ。」
「?」
「あの白金色の髪の方は正真正銘のセライアだ。
メリルアンジェ・セライア・クローナ姫様だよ。
≪ディレイの白百合≫の名を聞いたことはないかい?」
「セライアだって!?」
アーライ出身の男性は信じられないという様子でもう一度じっくりとお茶を配っている女神官の方を見ます。
ティーアやセライアの名を持つ貴婦人がこのような場所にいるというだけでも珍しいのに、そればかりかあの白金色の髪をした姫は周囲の聖職者と同じように目の前にいる人々のために動いているのです…
「―噂どおりだ。
本当に穢れのない白百合のような方だな…」
若い医師は今からしようとすることもすっかり忘れて、ただただ聖職者のなかにいるメリルアンジェの姿だけを追いかけています…
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