「さてキョウカさん、あなたには女魔法使いとして学ぶことが山積している。とりあえずはわたしの家に移ってもらい、それからマトゥーラ行きを勧めるかどうかを決めたい。だが、どちらの場合も侍従は同行できない。いいか?」
アレクシスは重々しくそう問いかけた。
対するキョウカはそんな彼に笑顔を向ける。
「それなら大丈夫です。向こうの世界では私付きの侍女なんていませんでしたから」
「よし。家には君と年齢の近い女魔法使い候補もいる。彼女たちはいい友人になるだろう」
2人の魔法使いが話している間、ライシャはディアルド家の金髪の娘がなぜここにいるかについて推測をしていた。
直勘があたっているならば、金髪の姫はライシャがフェイラム家の第二姫だった頃にとった行動を目論んでいる様子…
「…なんでしょうか?」
複雑な気持ちで茴香のなりゆきを見守っていたアリステーゼは、ライシャの視線に気付いて彼女に近づいて静かに問い掛けた。
自分の視線に気付いたのであればその場で声をかけてくればいいのに、それをわざわざ近付いて来て、さらに小さな声で問い掛けてきたアリステーゼにライシャは驚きを隠せない。
だが、それと同時に彼女が噂どおりの人物かもしれないと感じた。
彼女がわざわざコソコソと問い掛けてきたのはこの場にいる者たちの注意をひきつけたくなかったからだろう。
自分が彼女の行動を怪しんでいる事に気付いた上で………。
「あなたこそわたしたちになにか用があったのではなくて?ディアルド家の姫君」
ライシャは腕にかけた帯のなかに隠している棒の端をアリステーゼに見せた。それはさっきフェラーダから取り上げたものだ。
「それは―」
「あなたが何を考えているかは見当がつくわ。ただ、その結論はティーアの名を持つ者ゆえに出たの?それともひとりの娘の感情ゆえのものかしら?それ次第で出方を考える必要があるわ」
アリステーゼは暫し考え込み、言葉を探した。
彼女の返答次第でライシャは3人にとって心強い味方になる可能性があるが、言葉を間違えれば即座に邸内に送り返されるかもしれない。
南国女性が「パルム街長の二の姫ライシェリーゼ・ティーア・フェイラム」として問いかけているのか、「商隊副隊長ライシャ・セダイユ」として話しているかを見極めなねばならない。
アリステーゼは目の前の女性を見極めるために彼女をじっと見て、ライシャの方も彼女の答えを待ってアリステーゼをじっと見つめる。
騒がしい室内で、そこだけは奇妙な静寂に護られた。
アリステーゼは目の前の女性の事を知らない。
…というか、ロイ以外の者のほとんどは商隊の者ですらライシャの事をよくは知らない。
彼女がバルムの街長の娘である事を知る者はロイ以外には数えるほどしかいないのだ。
皆が知っているのは、彼女がカルティスの街長の覚えも良い、南国生まれの男が率いる商隊「ライディスト」の副隊長である事。
そして、その南国生まれの男…ロイの伴侶である事。それだけだ。
アリステーゼも先ほどアレクシスからそのように紹介を受けたばかりだ。
アリステーゼは言うべきなのか、それとも誤魔化し通すか…と、考えに考えた。
真剣な彼女達に近くの騒音は聞こえていない。
一度下を向いて目をつぶった。それからまっすぐにライシャを見る。
ここで真実を伝えるべきか…。
アリステーゼは意を決した。
クローナ家に伝わる街の記録の他、数々の文献にも目を通した。
キョウカが時折口にする不思議な言葉を、書物を手にその都度翻訳してみた。
これまでの知識を反芻するうちに、ディアルドの姫は南方五都市―レイリス、ウィスタン、セネイ、パルム、ルーシェ―のひとつで起きた、ある出来事をふと思い出した。
今から数年ほど前のこと、「パルムの赤薔薇」と称されていたフェイラム家の2番目の姫が急病で他界したとの報せがディレイにも届き、ディレイからも主だった者がパルムに赴いた。
この時アリステーゼは自邸に留まっていただが、パルムでの話を聞くと「ライシェリーゼ姫は他界したのではなく何かの事情で存在を隠された」と思える不自然さを感じたのだ。
現在は「カルティスの白百合」と呼ばれているメリルアンジェと並び称される美姫だったパルム街長の第二姫とライシャに直接の関わりはないのだろうが、ライシャも南の出身。
ライシャは葬られた美姫について何かを知っており、アリステ―ゼへの問いもそれ故に発せられたものなのかもしれない。
この仮定が当たっていれば答えはおのずと決まってくる。

「私は貴女が何者なのか知りません。そして、貴女がこのような問いかけをしてくる事の真意も…」
キッとライシャを見詰めるその表情は事のほか硬いものだ。それだけ彼女が真剣だという事を有意に物語っている。
「それで?貴女の答えは?」
ライシャは静かに先を促した。
「私はこの世界を変えたい」
アリステーゼはとても強い目で、されども静かにそう言いきった。
「私は街の民の誰もが私と同じような生活をしているのだと思っていました。だけどそれは違った。女性に世界を動かす権利は与えられていない。けれど、立場的に人の上に立つティーアの名を持つ者として全ての人が平等に暮らせる世界を望みます。そして、世界を変えるためには私自身が世界を知らなければならない。そう考えます」
ライシャはフェイラム邸を出た時の事を不意に思い出した。
彼女は母の違う兄と姉に快く思われないだけでなく、説明もなしに5つ巴の街の政争に利用されるであろう運命から逃げ出したのだ。
そんなライシャの時と違うのは、アリステ―ゼは以前からこの件を考えていた事。
…となれば、ディレイの跡目である自分がいなくなってからの事についても何らかの対策を施してある可能性が高い。
「あなたの決意はよくわかったわ。ちょっと待ってちょうだい。
アレクシス殿、新しい女魔法使いをマトゥーラに遣わすのならわたしたちも協力するわ。場所はロイが知っているはずよ」
「ライシャ夫人、この件はまだ決定したわけじゃないんだが」
「キョウカさんが首にかけているものが既に方向を決めていると思うけれど?『黒竜の水晶』が誰かを選んだときは、メレルの竜騎士団の本営かマトゥーラで承認をするのが通例と夫から聞いているわ。キョウカさんは女性だから竜騎士団本営は関係ないものね」
『女魔法使い』
有無を言わさずに盛り上がる周囲に辟易していた茴香は、ここ数十分間で幾度も耳にした言葉に密かに眉を顰めた。
自分の置かれた状況がよく分かっていないながらも、周りの人々の会話を聞いていて思ったのは、どうもこの世界では男女の区別がきっちりと分かたれているという事だ。
もちろん日本でだって男女の区別はされる。
だけど日本のそれとこの世界のそれは違うように感じるのだ。
アリステーゼとこの屋敷を抜け出ようとした際に手助けしてくれた女性の言葉を聞いた時から何かがひっかかっていた。
今の「女魔法使い」という言葉だってそうだ。
そしてライシャと名乗る女性の「女性だから竜騎士団本営には関係ない」と言う言葉。
何故この国の人たちはここまで男性、女性という性差にこだわるのだろうか…。
「あなたがディレイにいることを望むのならばマトゥーラ行きは強制はしない」
アレクシスは茴香の怪訝そうな表情を見知らぬ土地への旅の不安故と思い込んでそう話し掛けた。
「おい…アレク、冗談だろう?マトゥーラの総司が新しい水晶の主を承認しなければ、それは女魔法使いの守護竜となることもなく永久に黒く沈黙したままだ。…そうじゃなければ誰が……」
魔法使いの修練を途中でやめたロイには、マトゥーラへの訪問はあまり愉快ではないのだ。
「ロイ、仕方がないじゃないの。メレルに行けば水晶の竜は闘竜になり、竜に選ばれた若者はライドを名乗る魔法戦士になるのよ。マティスに女性形はあってもライドにはないわ」
「…わかったよ、ライシャ。そんなに言うな…。―と、こういうわけだ。キョウカ嬢、あなたはマトゥーラに連れていく。いいな?」
「ディアルドの姫君、フェラーダさん、あなたたちは彼女の旅の道連れとして同行するのよ」
すかさずライシャはアリステーゼとフェラーダにそう言った。
フェラーダは一瞬、困った顔をしたが、すぐに顔を上げた。
「…承知いたしました」
茴香は地を見ていたがライシャ達の方をまっすぐに見た。自分の承知もなくマトゥーラ行きを決められた点は不快には思わなかったが、やはり少し戸惑いもあった。
知らない場所へ行くというだけはあって、鼓動が早くなり落ち着きをなくしそうだった。
これからどうなるのだろう。
一体何がどうなっているのかさっぱり分からない。
帰りたい…。
どこかへ行ってその場所から帰ることが出来るのなら、今すぐにでもそこへ行きたい。
でも、何だろう…。この世界へ来てから、まるで得体の知れない何かが必死になって自分を呼んでいるような感覚に陥る事がある…。
茴香はとりとめも無くその様なことを考え始めていた。
「マトゥーラの地も『黒竜の水晶』の女主人の承認も恐ろしいものではないから安心しろ。女性は保護が必要な弱い存在だということはロイたちも常識として知っている事実だしな」
「アレクシスさん…」
茴香がマーシアの名と女魔法使いの杖を得てからは、彼女に対するアレクシスの言葉や態度は「遠国の姫に対するもの」から「同志に対するもの」へと変化している。
その急な変化ぶりに少々の戸惑いはあるが、以前のお姫様扱いよりはまだいい…とは思っていた。
そんな茴香の心の内を知ってか知らずか、アレクシスは話を続ける。
「その水晶に眠る竜は、目覚めれば主人の魂の色をまとうという。あなたが守護竜とともにディレイに戻る時、どんな竜を連れているのだろうか。楽しみだな」
にこやかにそう言って、アレクシスは一度言葉を切って少し考え込んだ。
「ライシャ夫人、さっきの話から察するに、まさかアリステーゼ姫もこの旅に…」
「姫君御自身の望みでね。ただ、その間どうするかって問題はあるのだけれど…。ティーアの名を持つ者の無断の外出、しかも長期に渡ってなんて周囲に露見したらただでは済まないわ」
そう言って視線をアリステーゼに移すと、アリステーゼも困ったような顔をしている。どうやら自分がいない間のフォローまでは考えてなかったようだ。
自分の勘も大したことがない…と、ライシャは内心でため息をついた。
しばし考え込んでいたアレクシスは気が進まなそうに一つの案を出した。
「封印の魔法によりアリステーゼ姫が元々この世界に存在しなかった…という事にするのはどうでしょう?」
思いもかけぬ提案にアリステーゼは不安になった。
(私を知っている人…、この屋敷のすべての人…、サティリエも…、お父様も…、みんなみんな私を忘れてしまう…)
「決してご自分を忘れないでいて欲しい人の姿だけを心の中に思い描くのです」
「忘れないでいて欲しい人の姿だけを…」
アリステーゼは不安気にアレクシスの言葉を口の中で繰り返した。
自分の事を忘れないで欲しい人物と言えば、父・アストラウル。母親同然のサティリエ。友人も同然のフェラーダ。
そして大親友であるワナルの街長の娘・セレシィア。
そして、そして………あと一人、少女の頃から憧れていた菫色の瞳の男性…。
アリステーゼはその姿を無意識のうちに心に描いていた。
…と、同時に家も血筋も責務も習慣も関係なく、自分の純粋な心だけに従って考えても許されるのならば…とも考えてしまう。
一方、茴香はそれを自分の身に置き換えていた。
自分を知る者が皆自分を忘れる…それは失踪した茴香を案じる皆の心配そうな様子を想像するよりも恐ろしいものがある…。
「司様、お待ちください」
「アレクシス殿、ちょっと」
フェラーダとライシャが同時に口を開いたのはその時だった。
「僭越かもしれませんが姫君はディアルド家の血脈を守るべき方です。影武者ならば話もわかるのですが、存在を消されれば…この街は…ディレイの次代の長の座はどうなるのでしょう…?」
「いい案だけどディアルド家の姫君には他に兄弟はいないのよね?その方面は大丈夫なの?」
二人は口調は柔らかいながらも、真剣な眼差しでアレクシスを見つめる。
その眼差しからは無言の圧力がひしひしと伝わってくる。
それに一瞬ひるみつつもアレクシスは冷静に口を開いた。
「つまり、歴史が変わるのだ」
アリステーゼの存在が封印され、元々生まれて来なかったという事になれば、歴史が書き換わり、アリステーゼの代わりに別の子供が誕生したこととなる。
しかし、彼女の父を想う心が強ければ、その存在を父の記憶の奥底に刻み込むことが出来る。そうした場合、彼がアリステーゼに会っても、両者を自分の子供として認識することが出来る。
その時がこの残酷な魔法が解ける瞬間ともなりうる。
封印の魔法…、それは時折、罪を犯した貴族などへの刑罰として用いられることがある。
魔法により地位も権力も失った彼らは庶民から奴隷として使われる。
この魔法を犯罪の判決結果として行うには、罪人が統治階級者ならメレルの宮廷の、竜騎士ならメレルの竜騎士団本営の、魔法使いならマトゥーラの魔法使いの塔の、聖職者ならエルセアの大神殿の、学者や賢者ならシレギアの学問所の判断が必要だがが実際に許可が出るのは稀だ。
それはこの魔法の結果がもたらす恐ろしい事実や、名に特殊な音を持つ者が『封印の魔法』に値する大罪に問われるのが稀であるということだけが理由ではない。
この魔法は場合によっては多くの人心や時間軸さえ巻き込んで展開されるものであり、失敗すれば歴史に歪みを生じさせる事となる。
当然その術を行使する魔法使いの心身には大きな負担を与える。
無論、アレクシスもとロイもそのことを知らないわけではない。
しかもアレクシスは一昨日にも茴香をこの地に召喚するという大魔法を行ったばかりの身だ。
空色の瞳の魔法使いは姫の心情を気遣ってか、この術の危険な部分の説明は伏せていた。
「………」
対するアリステーゼは硬い表情で考え込んでいた。
封印の魔法…人の上に立つ者たちが過ちを犯した時に用いられる最終手段。
実際に目にした事などないが、それでも書物では読んだ事がある。
それが世界にどれほど大きな影響を与えるものなのかもそれには書いてあった。
それまでの歴史を完全に書き換えるそれは、最悪の場合、世界のバランスをも崩しかねない…と…。
それまで人々が歩んできた歴史を歪めると言うことは、世界そのものも変わると言うこと。
最悪、その術が施された後、目の前にはそれまでとはまったく違う世界が広がっているという可能性も無きにしも非ずなのだ。
そんな危険な術を彼は自分のために使おうというのか…。
アレクシスは、ゆっくりとアリステーゼに近寄った。
「本心を申し上げます」
「おそらく、貴女様はこれからかなり長らくの間、ディレイにお戻りになるおつもりはないのでしょう。ですが、まやかしの類で誤魔化し続けられるのは長くてせいぜい半年。それ以上はそういった類の魔法では無理です」
アレクシスは同時にこの話が持ち上がった時点から手にしていた分厚い本の最後のページを開くと、口を半開きにしたままきょとんとしていた茴香に手渡した。
「キョウカ…。あなたなら、あの呪文を唱えた後、続けてその最後の四行を詠唱するだけで、複雑な封印の魔法を完成させられるはずだ…」
茴香はどうしていいかわからなかった。
解っているのは、アリステーゼのために重い決断をしなくてはならないという事だけだった。
それも、とてつもなく重い決断を…。
無意識に気を紛らわせたいと思ったのか、茴香は微かに魔法の香草の香りがしみこんでいる魔法書のページに視線を移した。
紙面を埋めている文字は、今日の昼下がりくらいの頃合にアレクシスと一緒に見たエリダイルの本に書かれていたものとは全く違った。
言葉の持つ力をそのままに記せる特殊な文字なのだろう。
思えば、日本にいたときに夢中になって読んでいた魔法小説でも、魔法使いたちは魔力のある人にしか使えない言葉で呪文を操り、自在に不思議な力を操っていた。
しかし、彼女が再度驚いたのは次の瞬間だった。
「え?読める…。初めて見た文字なのに……」
「驚くことはない。それはあなたが魔力を有していることの証だ」
「私が魔力を…」
茴香は呟きながらその文字を目で辿る。
それらは全て問題なく理解することができた。
アレクシスの言う「あの呪文」というものもどれを指しているのか分かる。
だけど、それを唱えたら…。
茴香は複雑な面持ちでアリステーゼを見た。
―部屋を出たときに覚悟はしました。キョウカさん、アレクシス殿、遠慮は要らないわ―
アリステーゼの表情はそう語っている…が、ドレスの上で組んだ手の指に視線を移すと、不安と緊張のためか強く握り締めている指が微かに白くなっているのが分かる。
そんな時、アレクシスは静かにロイを近くに呼んだ。
「なんだ?」
「ああは言ったが、キョウカがこの魔法の反動に耐えられるかどうかは未知数だ。彼女が行使を決めたら魔法の反動を受けとめる協力をしてほしい。方法は覚えているな?」
アレクシスはシルヴィナとともに召喚の魔法を行ったときのことを思い返し、茴香に襲いかかる『封印の魔法』の反動を彼とロイのふたりで吸収することを考えたのだ。
茴香が彼の銀桃色の巻毛の女弟子の二の舞になることを避けるために。
“ダン!ダン!ダンダン!!!!”
突然、皆がいる部屋の扉がけたたましく鳴った。
皆がそれに反応し身を強張らせた。
しかし、茴香だけは違った。
(この感じ…)
音に引き寄せられるかのように扉に近づいていく。
そんな茴香を皆は口々に制止したが、彼女にその声は届いていなかった。
扉に近づくほどにその感情が大きく、そして暖かさを増す。
扉に手が届く。その時ライシャがその手を阻んだ。
「相手が判らないのに…。いけません」
「誰だか判らなくない!!わたしには判る!!だから、離して!!!!」
ライシャは首を小さく横に振った。
「落ち着いて。分かったわ、私が開けましょう」
茴香はそこでようやく落ち着きを取り戻した。
何を考えていたのだろう…と、束の間の自分の行動に自身を疑った。
だが、すぐに思い直し、ライシャの方を向いた。
「すみません。でも、自分で開けます」
そう言って扉に手をかける。
皆が注目する中で、キイ、という音がして扉が開いた。
そこには、自分と同い年くらいの少女が立っていた。
「きょ…茴香…」
「す…昴…」
二人はそれ以上は何も言わず。ただ、互いを抱きしめた。
突然の事に驚いた一行は、呆然と彼女達の様子を見守るしかなかった。
そんな中で茴香と昴は互いの存在を確かめ合う。
「茴香が突然消えたって聞いて、すっごく心配したんだよ!もしかしたらと思ってこっちに来てみたら、街が『水を渡りし姫』だの『空からの水』だのの噂でもちきりなんだもん!」
昴は一気にまくし立てる。
「なんでこっちに来てるのよ!?もしかして、あの男に呼ばれたの!?」
昴はそう言って、突然鋭い視線をアレクシスに向けた。
「…初対面のはずのあなたに『あの男』呼ばわりされる覚えはありませんが?」
アレクシスも鋭い視線を返す。
「あんた魔法使いの司のアレクシスでしょ?あんたがここにいるんなら、こんな真似したのはあんたぐらいしかいないじゃない。さあ、帰るよ!」
「え、でも…」
「いいから!!」
昴は茴香の腕を掴むと無理矢理引っ張って部屋の外へと連れ出すと庭を突ききり、ロイ達の馬車が止めてある付近を走り抜けた後、屋敷の外へ出た辺りでやっと足を止めた。
「何だか知らないけど、どうせ誰かにイイように利用されてるだけだから…」
彼女はそう言いつつ、彼女が用意したものなのか、昴は近くに佇んでいた馬車に飛び乗った。
「商人の馬車から荷台一つカッパらってきて良かったなぁ…。ほら、茴香、早く乗って」
「ごめんなさい…ちょっと待って。わたし、やらなきゃいけないことがあるの」
「やらなきゃって…あなた、捕まってたんじゃなかったの?」
「さっきまではそうだったわ。でも、あの人たちが助けてくれたのよ。それに…」
茴香はディアルド邸の門の方を見た。
今ならば昴とふたりでこの場を去ることも難しくはないだろう。とはいえ、捕われたままであれば今頃はこの世界の裁きの場に出されていたかもしれなかった茴香を助けてくれたのは他ならぬアリステーゼであった。
しかも彼女は茴香や昴と殆ど同じくらいの年頃であるにもかかわらず、ふたりよりもはるかに大きな問題を抱えているようなのだ…。
「昴、茴香の事情もあるだろうし、なりゆきを聞いてから決めても遅くないんじゃないか?ちょうど屋敷には杖を持った解説者殿もいることだし」
馬車の御者席から同じクラスの沙崎玲の声がした。
視線をそちらに移せば、よく見知った人物がそこに座っていた。昴と一緒にこちらに来たのだろうか。
「えっ!?沙崎君もっ!?なんで!?………きゃあッ!!」
「茴香ごめんっ、説明は後でちゃんとするから。玲、出して!」
驚き戸惑う茴香を昴は女とは思えないほどの力で馬車に引っ張り上げ、玲に声をかけた。その勢いに体が勝手に反応した…とでも言うのだろうか、玲は馬車を出発させた。
「あのじゃじゃ馬娘やってくれたな…」
地下室に取り残されたロイは茴香やアレクシスと入れ違いになるように入ってきた商隊の者の報告を聞いてそう呟いた。だが、その表情はにこやかだ。
「じゃあ俺達も行くか。女神さまが怒り出さないうちに…と、アリステーゼ」
ライシャを伴って部屋を出ようとしたロイは思い出したかのように呆然と佇むアリステーゼに声をかけた。
「俺達はお前が城を出ることは反対しない。お前の道だ。だが、城を出るのならお前の力で何とかしてから出て来い」
アリステーゼは次から次へと起こる事態に頭が混乱していた。ロイの言葉に我にかえり、ハッとロイの方を向いた。
「状況がよく分からないようだが、迷っている暇はないぞ」
アリステーゼは迷ったが、それでも答えは最初から出ていた。
「はい…!」
「…ロイ、姫君をお連れするならばシレギアのラドムール・セレス・レーテ殿を訪ねるといい。アリステーゼ姫の名はシレギアでは『ディレイの賢姫』として知られている。
副長のレーテ家はウィステリア奥方のご実家だ。ラドムール殿も妹君がディレイで大切にされていたことはご存知だから姫君を粗略にはしないだろうし、長にも言い訳がたつ…と…思う…」
アレクシスはレーテ家の屋敷の所在と今回の事情説明を書いた紙をロイに渡した。
―ロイ殿、わたしをパルムから連れ出してちょうだい。フェイラムの家に惜しむものはないわ。あんな人たちに未来を決められるなんて…真っ平よ!―
ライシャはパルムを出るロイたちを引きとめた言葉を思い出していた。
あの時、ロイはそんなライシャをそのまま一行に迎え、旅に不慣れな彼女を庇いながら、徐々に一員として受け入れてくれたのだ…。
「一つ面白いことを教えてやろう」
突然ロイはアリステーゼにだけ聞こえるような小さな声で囁いた。
「?」
「パルムの第二姫、ライシェリーゼ…彼女は病死ではない。表向きは病死とされているが、本当は自殺だったという話だ」
「!?」
アリステーゼは勢い良く顔を上げ、ロイをまじまじと見る。
「しかもその遺体は葬儀後に行方知れずとなったらしいぞ」
アリステーゼの視線に答えるかのように、ロイはそう言って口の端に意地の悪い笑みを浮かべた。
「な…何故そんな事を私に?」
「さあ?俺は気まぐれだからな」
アリステーゼはロイが何を言わんとしているかを察知した。
それに気付いたのはひとりではない。ライシャも夫の言葉の真意を感じた。
ふたりのティーアがほぼ同時に気付いたのはそのことだけではなかった。
ロイの提案は確かに名案ではあるが、アストラウルに後添えを迎える意志がなく、アリステーゼ自身にも夫も子もない現在、彼女に万一のことがあればディアルドの血脈は途絶えてしまう。
つまり、アリステーゼがディレイの将来を考えつつ、ロイのアイディアを実行に移すのならば、その前にディアルド家の親戚筋から養子を迎えるか、未来の夫として誰かを選ばなくてはならない。
この案を実行に移す際には、アレクシスに父の怒りが向かないような細工を施すことも大切だが、ティーアを名乗る者としての義務を果すこともまた忘れてはならないことなのだ。
―わたしが伴侶となる殿方を…次代のディレイ街長となる方を選ぶのならば…でも…―
アリステーゼの胸の内では、ある人の面影が陽炎のよう揺らめいていた。
その頃、三人を乗せた馬車は偶然にもシレギアの方向に向かっていた。
「で、どうするんだ?」
玲は馬車を御しながら昴に問い掛ける。
「とりあえず、あそこに行って。そこでロイやライシャたちと待ち合わせだから」
「りょーかい」
たったそれだけの言葉で玲は彼女の言うことを理解したらしく、再び前に視線を向けてしまった。
そしてその行く先をティセナ湖へと向ける。
「す…昴…??」
キョウカは相変わらず呆然とするのみだ。
「突然ごめんね〜。でも、私、あの男が大ッ嫌いなのよ!魔法使いの塔に住む奴等って大ッ嫌いなの私」
昴はキョウカにニッコリと微笑みつつも、強くそう言い放った。
「…ちょっと。茴香、そのネックレスは何?」
茴香の首にかかっている品に気付いた昴は急に真面目な表情になって友人に問いかけた。
「アレクシスさんがくれたんだけど…わたしにも詳しいことはわからないの。
ロイさんとアレクシスさんはこの『黒竜の水晶』を受け取ったらマトゥーラという場所に行って女主人になる儀式をしなければならないとも言っていたわ」
「茴香…もしかすると、あなたがここに来たのは偶然じゃないのかも…」
「昴…どうしたの?」
「武器や魔法具には自分の意志で主を選ぶものがあるけど、まさか異世界人を選ぶとはね。こうなったらロイにはかわいそうだけど、マトゥーラに寄るのは避けられないわね」
昴は馬車の枠に背を預けた。
(昴、あなたは一体どこまで知ってるの………?)
茴香は自分以上にこの世界に詳しい昴を疑問に思った。
沙崎玲がこの世界のことにあまり疑問を抱いていないのも、彼女には不思議だった。
「ねえ、昴…あなたどうしてこの世界のことを知っているの?」
「多分信じられないでしょうけど、ここには前に玲と一緒に来たことがあるの」
「それでこの宝石のことや、ロイさんたちや…マトゥーラという地名を知っていたのね」
「『武器や魔法具には自分の意志で主を選ぶものがある』のは地球だけじゃないと思うの。
だから、茴香をここに呼んだのはあの魔法使いと『黒竜の水晶』の両方だともいえるのよ」
「すると、まさか…わたしの名前にマーシアがついたのも偶然じゃなくて………」
「そして近いうちに水晶の女主人になるのも必然ね。マトゥーラ行き…ロイにどう頼もうか…」
昴はため息をついた。
今のところ、周囲の者の中で魔法使いの総本山の位置を正確に知っているのは、その地に行くことにはあまり気が進まないでいるロイひとりしかいないのだ。
ため息と共に考え込んだ昴を見て、茴香も考えをまとめようと視線を空へと移した。
黄昏が近づいた空には、端の方にあの大きさの違う二つの月がのぞき始めている。
「これから私、一体どうなってしまうの・・・」
声にならない声で茴香はつぶやいた。
その様子に気づいた昴は茴香をしばらく見つめていたが、やがてニッコリと微笑むと
「元気出しなさいよ〜茴香!大丈夫よ、私たちがついてるでしょ。
マトゥーラに寄るのはちょっと予想外だったけど、大丈夫、きっと上手くいくわ」
昴は最後をゆっくりと力を込めて言った。その声に茴香は確信のようなものを感じた。
馬車は土埃を上げながら、目的地へと走り続けた。
そろそろ黄昏が近いのだろう。既に太陽は西に傾いていた。
茴香達がティセナ湖に向かい始めたころ、ロイたち商隊一行もディレイを立とうとしていた。
「今回は慌しくてすまなかったな。次にこっちに来た時はゆっくりしていけよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
アレクシスが街長の屋敷の前で彼らを見送る。その後ろにはエリダイルとアリステーゼの姿がある。
ロイとライシャはアレクシスの言葉に笑顔で答えた後、隊に出発の合図を出す。
六台の馬車は静かに屋敷を出発する。
「またな」
三人に笑顔で別れを告げ、馬車が屋敷の出口へ向く瞬間、ロイとライシャは一瞬だけアリステーゼを見る。
それを見逃さず、アリステーゼは小さく頷いた。
それを目の端で確認して、ロイたちはディレイを後にした。
アリステーゼは馬車のカーテンの隙間から外を見た。馬車自体が揺れているらしく、アリステーゼも同じように揺れた。
まだ心が落ち着かないのか、鼓動が早くなっていた。カーテンから目をはなし、自分を言い聞かせ、まっすぐと前を向いた。
「姫君、もう顔を出しても大丈夫よ」
ライシャの声を聞いたアリステーゼは馬車のカーテンを開けた。
「あなたには初めての旅だろうから不便もあると思うわ。不都合があれば遠慮なく言うのよ」
「ライシャ夫人、お心遣い有難うございます」
「…姫君はああ仰言っていたけれど…御一人で外にお出しして本当に大丈夫かしら…?」
商隊の一行の姿が見えなくなった頃、アレクシスの魔法でアリステーゼに扮しているフェラーダはそう呟いた。
「君にかけた姿変えの魔法の効力期間は半年だ。その間、ロイたちが姫を保護してくれるさ」
アレクシスはいささか緊張した面持ちでそう答える。それにエリダイルも頷く。
「何よりもこれは姫君が望まれたことだ。わたしたちは各々のなすべきことを果そう」
―今はこうすることが姫君の真の幸福のためなのだから―
エリダイルは声には出さずにそう付け加えていた。
事情を知る人々の心遣いをひしひしと感じつつ、アリステーゼは今まで出た事のない町の外へと出た。
今後、この『ディレイ』と呼ばれる街はどうなるのだろう…。
大きく変わっていくのか、それとも何事もなかったかのように現状を維持したままで時を刻んでゆくのか…。
「ありがとう…」
アリステーゼは口の中で小さく呟く。
そして強く前を見据えた。
その姿からはそれまでの迷いは見えなかった。
参加者:れいあさま 瑞穂さま
ミントブルーさま さとこさま ミール・エア・リーデ
編集:れいあさま
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